前回佐藤選手を紹介するコンテンツを投稿させていただいた。
見てくださった方々、コメント、高評価してくださった皆様、いつも本当にありがとうございます。
そのコンテンツの終盤でもほんの少し触れたが、佐藤選手の同世代、同じHOというポジションに忘れてはならない、忘れられない選手がオーモリ的には存在する。
それが今回取り上げさせていただく江良颯選手。
皆様ご存知、帝京大学2度目の3連覇の時の主将で現在リーグワンのスピアーズに所属する世代No.1のHO。
オーモリは佐藤選手を最強HOと見ている、と前回お話ししたが、江良選手もまた最強のHOだと考えている。
最強というのは最も強いから最強なのであって、2人いるのは矛盾していておかしい、ということは当然理解している。
ただ、それだけ甲乙つけがたい2人、というかむしろ、現段階ではオーモリ的にはどちらかしかJAPANへ選べないならば江良選手を選ぶかもしれない、という状況でにっちもさっちも行かない。
ラグビーファンの皆様の中で江良選手を知らないという方々はほぼいないとは思われるが、今回改めてその経歴、特徴についてお話ししていきたい、そう思う次第。
江良選手は
・どのような経歴の持ち主なのか
これらをオーモリ的に深ぼっていきたい。
当コンテンツを見ていただければ、現代に至るまでの江良選手について一発で知れると思うので、江良選手ってすごいのは知ってるけど、詳しく知りたい!という方は是非ご覧あそばせください。

オーモリです。YouTube・X(旧Twitter)もやってます。
江良颯
改めて、江良颯選手。
2001/9/18、花園ラグビー場を擁する大阪府東大阪市出身の今年24歳となる。
実家はそんな花園ラグビー場から自転車で5分の距離。
公式、177cm、106kg、いわゆる大型とは言えない体格だろうか。
幼少期
そんな江良選手は父、一也さんが大阪桐蔭高校ラグビー部のPRだったこともあり、兄、楓選手と共に本人が2歳の時に東大阪RSで楕円球と出会う。
この東大阪RSで、のちに大阪桐蔭高校でチームメイトとなる大阪桐蔭ではFBを務めることとなる芦塚選手と出会う。
小学生に上がると、ヒーローズカップで全国大会5位に輝いた。
小学2年生ごろから体がどんどんと大きくなり始めたという。
中学時代
中学は地元の東大阪市立枚岡中学校へ入学。
中学校時代は強豪校がひしめく大阪府内で常に上位に入る成績を収めていた。
先に挙げた通り、江良選手は小学校低学年から体が大きかったが、スキルフルだったということもあり、体重はすでに100kgあったとのことだが、中学生では主にFHを任される存在だった。
この中学校時代の大阪選抜で、のちに大阪桐蔭、帝京大学でチームメイトとなる、大阪桐蔭では8MAN、主将、帝京大学では副将を務める奥井選手と出会う。
2人の関係は非常に親密で遊びに行く時はいつも一緒だったそう。
そんな奥井選手を江良選手は、いつもライバルであり、親友で、負けられない存在と語っている。
大阪桐蔭高校時代
そして中学卒業後は、先にも軽く触れたが、大阪の強豪、大阪桐蔭高校へ芦塚、奥井選手らと白いジャージを着たかったということで入学。
父、兄の後を追うことにもなった。
高校に入学すると江良選手は元々体が大きかったこと、本人曰く、BKのスタミナではなかったこと、さらには元JAPANのHO、堀江さんに憧れたことでフロントローへ転向。
ようやく収まるところに収まったというところだろうか。
江良選手が入学後の大阪桐蔭は3年間毎年花園へ出場。
内、優勝1回、準優勝1回、ベスト8、1回の成績を収めた。
そして江良選手はこの大阪桐蔭時代から本格的にその名を全国へ轟かすこととなる。
1年生
江良選手は1年生からメンバー入りを果たす。
ただ、1年生時はフロントロー転向1年目ということもあり、リザーブからの登場機会がメインとなっていた。
そんな1年生時、チームは初の花園決勝進出を果たすも東海大仰星に決勝で敗れ、準優勝。
ちなみにこの時の対戦相手である東海大仰星には現JAPANで埼玉所属の長田選手、現東京SG所属の河瀬選手らが在籍していた。
河瀬選手についての記事は下記。


2年生
翌年の2年生時から江良選手はチームのレギュラーへ定着。
ただ、ポジションは現在のHOではなくLPR。
そしてこの年、自身としてもチームとしても初の花園優勝を達成。
春の選抜では決勝へ進出するも桐蔭学園に敗れ、準優勝に甘んじたが、冬の花園では春に26-46で敗れていたその桐蔭学園にリベンジを果たし26-24と大会史に残る名勝負、大接戦の末、見事優勝。
江良選手自身としても準々決勝からの3試合でフル出場、決勝で1トライを上げる等、優勝に大きく貢献した。
ちなみにこの年、江良選手の1つ上の3年生には現トヨタ松山選手、現東京SGの高本選手らが在籍していた。
3年生
そして高校最終学年となった江良選手は下級生の頃からチームの主軸を担っていたこと、リーダーシップに長けていたということもあり、主将の奥井選手を最も側でサポートする副将へ任命される。
この年から江良選手はチーム事情もあり、LPRからHOへ転向。
現在江良選手が主戦場とするポジション、結果的に憧れと語る堀江さんと同じポジションとなる。
チームとしてはもちろん花園連覇を狙う代となったが、前年に勝利したこの年、花園優勝を達成した桐蔭学園にベスト8で敗戦。
連覇の夢は叶わなかった。
高校3年間の花園を振り返ると、敗れた2試合はいずれも優勝した高校に敗れており、桐蔭学園とは3年間で毎年対戦したことになる。
帝京大学時代
そして江良選手は高校卒業後、伝統校を倒したいという思いから関東大学対抗戦の帝京大学へ進学。
ちなみに、中学時代からのチームメイト奥井選手も帝京大学へ進学。
高校時代の主将、副将が揃って入学したことで同じ大学へ進学したいという意図も見え隠れするところだが、奥井選手と同じ大学になったのは偶然とのこと。
大学時代は高校3年生から引き続きHOを務める。
1年生


江良選手は1年生から先発起用が多く、1年生では秋以降の公式戦に絞ると、対抗戦6試合、選手権2試合、合計8試合、内先発7試合で473分出場。
しかしチームは9連覇後のいわゆる谷のシーズンだったこともあり、対抗戦は4勝3敗の4位。
この3敗は早稲田、明治、慶應の伝統校から喫したものであり、選手権でも準決勝で早稲田に敗れる。
しかし内容としてはスクラムで押し込むシーン、フィールドプレーでも1年生ながら存在感を発揮しており、早くもチームのFWのキーマンとしての片鱗を見せていた。
2年生


2年生になった江良選手はここから学生屈指のHOへと変貌を遂げる。
この年の帝京大学は細木主将を中心としたスクラムで他大学を圧倒。
結果、対抗戦全勝、選手権でも優勝を果たす。
もちろん自身もFW、スクラムのキーマンとして、また、フィールドプレーでもドミネイトタックルの連発、スティールによるターンオーバーでチームの優勝に大きく貢献。
最終的にこの年は、対抗戦6試合、選手権3試合、合計9試合全てで先発し、586分出場。
3年生


そしてオーモリ的に江良選手が学生屈指のHOとなったのは彼が3年生の時と考えている。
前年度の主将でチームの優勝を支えたスクラムの大黒柱だったTP細木選手、LPRの照内選手が卒業。
つまり優勝メンバーでフロントローに残るのは江良選手のみ。
各大学におけるスクラムのパワーバランスはどうなるのかと思われていた中で、この年の帝京のスクラムはまさに敵なし。
これには帝京大学FW陣のスクラムワークが素晴らしい、下級生から試合に出場してきた選手が多く残る、ということはあるだろうが、スクラムの最前線、前年度から唯一残った江良選手の貢献度は相当高いと思わさせられてしまう。
その上でフィールドプレーは凄みを増すばかり。
また江良選手がナイスプレーしたわと思わさせられる場面が学年が上がるごとに増えていく。
これらを踏まえて、オーモリ的にこの年、江良選手は学生最強HOとなったと考えたわけだ。
そのおかげもあって、この年帝京大学は創立依頼、2度目の2連覇を達成。
選手権の準決勝、決勝ではいずれも70点以上を奪っての勝利というまさに敵なし、圧倒的な強さを見せつけた。
ちなみにこの年、江良選手は対抗戦6試合、選手権3試合、合計9試合、内先発8試合で566分出場。
4年生


迎えた大学最終学年となった翌年、江良選手は当時の4年生の投票でチームの主将へ選出。
江良選手と同じく1年生からチームを牽引してきた奥井選手が副将に就くということで高校時代とは逆の立場となる。
奥井選手の気持ちを考えると、なんとも言えない気持ちになるが、このことについて奥井選手自身は当初は難しい気持ちにもなったがすぐに切り替えたと、当時の気持ちを語っている。
前年度のチームの絶対的司令塔だった高本選手や、二村選手らが卒業しどのようなラグビーを展開するチームになるのかと思われていた中で、この年も帝京大学の強みの中心はやっぱりスクラムだった。
スクラムでは他大学を寄せ付けず。
江良選手を中心とした帝京のスクラムの勢いは留まることを知らない。
最終的に対抗戦全勝、選手権決勝では同じ対抗戦の明治大学を相手にスクラムで優位に立ち、雷の影響による中断もあったが、最終スコア34-15で勝利し選手権初となる2度目の3連覇を達成。
この年の江良選手は対抗戦7試合、選手権3試合、合計10試合全試合先発で大学在籍中最長の669分出場。
高校、大学と、特に大学ではチーム側のゲームタイムマネジメントも手伝ってか、大きな故障もなく試合にで続け学生No.1HOへと見事に駆け上がった学生時代となった。
リーグワン、スピアーズへ
誰もが大学卒業後の進路に注目していた中でリーグワンのスピアーズを新たな所属先として江良選手は選択。
正直、帝京の主将、学生時代から注目度はトップクラス、そんな選手は埼玉か東京SGへの入団が既定路線と思われていた中であえていうと、まさかまさかのスピアーズ入団。
ただ、冷静に当時のスピアーズの状況を思い返してみると合理的な判断だったのかとも思える。
というのもスピアーズには世界No.1HOのマルコム・マークス選手以外のHOは正直混戦状態だった。
向こう数年は試合には出られないだろうなという状況ではなかったかもしれない。
だからこそあのタイミングでスピアーズを選択した江良選手の判断は試合時間確保という観点では正しかったのかもしれないと今考えると思える。
アーリーエントリー


そんな江良選手のスピアーズデビューは選手権優勝後の2/10、クロスボーダーラグビーでのチーフス戦。
リーグワンの試合よりも先にスピアーズデビューを飾るという珍しい事例となった。
その後リーグワンが再開すると9節のトヨタ戦、16番でリーグワンデビュー。
その試合ではリーグワン初トライも記録。
そこから6試合連続でメンバー入りし、いずれも16番からの登場。
リーグワン2キャップ目の横浜戦ではチームの逆転勝利のラストパスを放っている。
しかしシーズン途中で故障に見舞われ、入団年は6試合で204分間出場となった。
1年目


翌年、入団年に負った負傷が癒え、リーグワン本格参加、入団1年目の今季はここまで全10試合、内先発7試合で419分出場、ゲインメーター170、ボールキャリー43、ラインブレイク3、ディフェンス突破9、被ターンオーバー7を記録。
先に挙げたマークス選手と主にポジションを分け合っている状況。
全く問題なくリーグワンのレベルに適応していると言えるのではないだろうか。
スクラムでペナルティを獲得するという大学時代に何度も見てきた場面も頻発しているし、逆に押し込まれる場面も極めて少ない。
まだリーグワン1年目のHOがこれだから驚き。
ちなみにそんな江良選手が貢献しているスピアーズのマイボールスクラム成功率はここまでで95%となっている。
結び
改めて、江良颯選手。
昨今、優秀バックロー選手のHO転向の流れがある中では珍しい高校時代から世代屈指のHOとして活躍してきた江良選手。
主に大学時代にそのスクラムワーク、運動量、スキルで学生最強のHOへと成長。
今後リーグワンでも屈指のFW陣を擁するスピアーズの中心を担い、日本最強のHOへと成長することができるだろうか。
ちなみに、前回取り上げたアーリーエントリーでリーグワンデビューを果たした、同じく最強HOとオーモリが見ている佐藤健次選手が所属する埼玉とスピアーズは5/3秩父宮ラグビー場で今シーズンの2戦目が予定されている。
佐藤選手についての記事は下記。


参考
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