ここ最近、リーグワンにおけるオーモリ的注目選手をメインに取り上げる期間が続いている。
もちろん、オーモリが注目している選手がリーグワンにしかいないのかと言われるとそんなわけない。
現在は新入生たちの入学を待ち、シーズンオフ中、リーグワンの1つ下のカテゴリーとなる大学ラグビーにも今後が非常に楽しみな選手たちが山のようにいる。
今回はその中から矢崎由高選手をピックアップ。
その経歴を中心にお話しさせていただければと思う。
もうすでにJAPANデビューは果たしており、日本で矢崎選手を知らない方々はほぼいらっしゃられないとは思われるが、今一度、その経歴、特徴についてお話しさせていただき、その上で見ていただければ幸い極まりない所存。

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矢崎由高
改めて、今回取り上げあさせていただく矢崎由高選手。
2004/5/12生まれ、今年21歳となる大学3年生。
公式、180cm、85kg。
決して特別サイズに恵まれているとは言えないだろうか。
そのプレースタイルをざっくりとまとめる次の通りとなるだろうか。


矢崎選手は大学生ながらもうすでにJAPANデビューを果たしているので、日本国内での評価とした場合、平均を50、基本、MAXを80、MINIを20と設定すると、オフェンス面については、その実力はもうすでにトップクラスと言えるのではないだろうか。
一方ディフェンス面についても大学レベルであれば優秀選手の部類に入るだろう。
今季選手権決勝での帝京、青木主将への正面衝突タックルでそのことは証明されているはず。
相手チームのトライグランディングを防ぐシーンなども、矢崎選手のディフェンス能力の高さを表す要素の一つとなるだろう。
また、現代のFBにおいて非常に重要度の高いキックについて、ここはテストマッチレベルでは他のステータスと比べるとやや伸び代が多い部分だろうか。
デビューとなったハイパントを多用してくるイングランド戦で多少のキックキャッチミスが出た場面もあったため、ここは今後さらにレベルアップを図れる箇所となる。
ただ、逆にいうと、そこ以外は大学3年生ながらにしてもうすでに完成している選手と言ってしまってもいいかもしれないことが恐ろしい。
あとはテストマッチレベルでヘッドTOヘッドのディフェンス、ハイパンとのキック処理を回数を加えていけば、国内では手のつけられないバックスリーへと成長を遂げてくれるだろう。
矢崎選手はランの選手
その上で先に挙げたアタックのステータスの中で、皆様もご存知の通り、特出すべきはそのラン能力の高さ。
後述するが桐蔭学園1年生でデビューした花園で見せたラン能力の高さは本当に圧巻だった。
矢崎選手のランは何が特出しているのかをオーモリ的に考えた結果、次の3点なのかと結論づけた。
根本的なスピード・ランコース・フィジカル
根本的なスピード
まず矢崎選手は根本的なスピードが非凡。
こちらも後述するが2024/4に行われたパシフィックチャレンジでは瞬間最高速度35.5km/hを記録。
これは世界トップバックスリーの選手のそれと同等。
ちなみに、元JAPANの快速WTB、福岡さんの最高速度は38km/hとなっている。
ランコース
次にランコースセレクトが抜群。
自らのスピードを前提として、ディフェンスが届かないコースのチョイスが抜群。
これは高校2年生時の選抜決勝戦の後半18分のトライ、大学1年生の選手権法政大学戦のトライ、MAB戦第2戦の17分のランによく現れている。
下記動画を参考にしてほしい。
フィジカル
そして最後にフィジカル。
これはタックルされても倒れないことと、単純なコリジョンの両方を意味する。
前者に関しては先に挙げた2点からそもそもディフェンスが追いつきづらくなる。
その上で体感の強さからなのか、タックルされてもタダでは倒れず、タックルポイントから1伸び、2伸びしてキャリーしていく。
高校1年生、花園決勝の前半のビッグゲイン、2年生花園準決勝、今季の早明戦、61分のトライ等にこの特徴が現れている。
また正面衝突系、体のぶつかり合いでもFWの選手にも引けを取らないフィジカルも持ち合わせる。
今季選手権決勝のLBで抜けてきた帝京大学、青木主将へのタックルがまさにそれ。
と、矢崎の特徴の一部としてこれらが挙げられるだろうか。
(ここから経歴)幼少期〜中学生
そんな矢崎選手、出身は新潟県。
ただ、その後大阪へ移住し、4歳で高槻RSで楕円球と出会い、小学校6年生から中学校3年生まで元JAPANHO堀江さんと同じ吹田RSに所属。
吹田RSとして出場した太陽生命カップでは3位。
大阪府スクール選抜にも選出。
その大会では福岡の選抜に敗れ準優勝。
この時、現明治BLの藤井達哉選手、バックスリーの竹之下選手がチームメイトだった。
また対戦相手には現京産大のSH高城選手らが在籍していた。
ちなみに、RSと並行して高槻市立芝谷中学校でサッカー部にも所属。
出ました、オーモリと全く同じパターン。
過去には山沢京平選手もこのパターンだったのが記憶に新しい。
山沢選手の紹介記事は下記。


高校時代
中学卒業後、新天地として選んだのは大阪府高槻市から約400km離れた神奈川県横浜市若葉区にある桐蔭学園高校だった。
桐蔭学園高校を選んだ理由は、さらなる成長を求めて、とのこと。
そしてこの桐蔭学園の一員、1年生として出場した花園で日本が矢崎選手を知ることになる。
1年生
前年に優勝を果たしたチームから主将でFH、FBだった伊藤選手らが卒業したことで、花園では1年生ながら強豪桐蔭学園でセンターラインの一角である15番に定着。
そして、1年生で出場したその花園で6試合で7トライを上げ大ブレイク。
しかもその奪ったトライのほとんどが個人の能力が垣間見えるものだったことで、とんでもない選手が出てきたと、少なくとも、オーモリの中ではなった。
決勝に進むにつれ、そのパフォーマンスを向上させていく矢崎選手。
特に先に挙げた、決勝戦のチームの得点に繋がるビッグゲイン、準決勝でのハットトリック、大会を通して卓越したボールの受け方等々、印象的だった場面を上げるとキリがない。
最終的に花園連覇を果たし、佐藤健次選手、青木選手、秋濱選手等、有望選手が集まっていた桐蔭学園の中にあっても、1年生ながら抜群の存在感を見せた。
2年生
1年生で鮮烈なデビューを果たし、チームも連覇を達成したことで矢崎選手がいる間は桐蔭学園の未来は安泰か、と思われていたが、花園優勝に手が届いたのは1年生の時だけ。
2年生では花園に出場するも、同じ関東地方のライバル國學院栃木相手に準決勝で敗戦となり、ベスト4。
ただ、自身は花園予選の決勝から本戦準決勝までの5試合で290分とほぼフル出場。
3年生
そして3年生ではあえていうのであれば、新人戦では勝利した東海大相模にまさかの県予選決勝で敗戦。
これにより、花園の連続出場記録は7年でストップ。
自身としても春先から肩や膝に負傷が続くなど、不運にも見舞われる年となった。
ちなみに、この年は矢崎選手はFHとしてプレーしている。
ただ、チームとしては花園出場は逃すも、本人はその年の高校JAPANへ選出されアイルランド遠征に参加。
当時のアイルランドU19代表から22-19で勝利し、歴史的快挙に貢献。
その後も矢崎選手は各世代別代表にいずれも選出されることとなる。
早稲田大学ラグビー部
そんな花園優勝から、負傷、県予選敗退と、激動の高校生期間を過ごした矢崎選手は現在も在籍する関東対抗戦の早稲田大学へ進学。
1年生(大学シーズン編)


もちろん大学入学後もスターターとして定着した矢崎選手。
前年の負傷が癒えたこの年、さらにその能力は開花する。
4月に入学した矢崎選手は早速5月の早明戦で赤黒デビュー。
秋以降の公式戦では対抗戦6試合、選手権2試合、合計8試合、全試合先発で605分出場、8トライ。
しかしチームは準々決勝で京産大に敗れ、正月越えは果たせず。
インターナショナル編
またその年の5〜6月には、当時としては唯一飛び級でU20JAPANに選出され、U20チャンピョンシップに出場。
その大会でチームとして勝利こそ上げることはできなかったが、自身は全5試合11番、15番で先発し合計385分出場。
大会ベスト15にも選出される。
大会前に行われた壮行試合であるNZL学生代表戦では、途中出場で24分の出場ながら見事な個人技でトライもあげている。
2年生(インターナショナル編)
翌年の大学2年生の春、ワールドラグビーパシフィックチャレンジに参加するためのいわゆる学生選抜、JAPAN XVのメンバーに選出。
サモア、トンガ、フィージーの同世代代表に対し、全試合15番でフル出場し3試合で4トライを上げる等、チームの3連勝に大きく貢献。


そしてなんと言ってもこの年の夏、JAPANのスコッドに練習生として参加。
そこからチーム内での昇格を果たし、6/22のイングランド戦でJAPAN初キャップを獲得。
トップカテゴリーインターナショナルのレベルを初めて体験し、試合終了後は本人曰く、何もできなかったとその感想を語っている。
JAPAN初キャップとなったこの試合は、キャリー6、キャリーメーター35はチームトップ、ディフェンス突破2、タックル成功率2/2で100%とした。
その後MAB戦も含めるとトップティアのゲームに7試合、全試合に15番で先発し合計535分出場。
JAPANのキャップは5となっている。
この夏のテストマッチで見ると、主に4試合合計でキャリー41、メーターキャリー282、ラインブレイク2、ディフェンス突破6、タックル成功率が11/15で73.3%としている。
大学シーズン編


国内最後の試合を終えた後は所属の早稲田大学へ合流。
その早稲田では対抗戦、選手権とフル回転。
対抗戦7試合、選手権2試合、合計9試合全試合先発で697分間出場、11トライ。
ちなみにこのうち対抗戦で上げた10トライは対抗戦3位。
春のJAPANの期間から休みなく試合に出場し続け、チームの選手権準優勝に貢献。
今季の大学シーズンでは、春からの連戦と各大学からの徹底マークによってそれまでと比べると、特に強豪校同士の対戦ではビッグゲインを切るシーンはやや減少しただろうか。
その中で高3での負傷歴があるに関わらず、最後まで故障なく、シーズンを走り切った頑丈さには白旗。
シーズン終了後は今後活動が本格化するU23にももちろん召集されている。
結び
花園での衝撃的なデビューからあっという間にJAPANの15番へと駆け上がっていった矢崎選手。
その中で今季は特に、初の代表連戦から大学フルシーズン出場と大車輪の活躍だった。
疲労面について選手権の準々決勝で1試合だけゲームタイムマネジメント介入があったが、疲労は完全には抜け切っていないだろう。
ですので、今後の起用法には特に早稲田大学首脳陣の皆様にはこれまで以上に慎重さが求められるだろうか。
その上で今後も矢崎選手が桜のジャージーで躍動する姿をオーモリ的には楽しみに待っている。
テストマッチの経験を重ね、インターナショナルレベルにアジャストした矢崎選手が世界の強者達を置き去りにしていく姿が見れればこれ以上幸せなことはないだろう。
そのためには早く最低でもリーグワン程度のレベルに触れさせておく必要はあるように思われるが、矢崎選手がどのようなキャリアを築いていくのかも楽しみに見守っていきたい。
2024/10/26時点ではラインブレイク後、ダミアン・マッケンジー選手に追いつかれていたが、今後はどうなるだろうか。
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