JAPANラグビーリーグワンのDiv1は今季2度目のバイウィークが明け、全国各地で計6試合が行われた。
相模原、静岡、BR東京の勝利と各地で番狂せが複数発生し、非常に見応えのある第11節となった。
その中で今季最初のナイターとして秩父宮ラグビー場で行われた浦安vスピアーズの試合においてPOM級の活躍をしたのがスピアーズの12番廣瀬雄也選手だ。
この試合でチーム最初の得点を挙げるなど活躍を収め、1年目である今季、リーグワンでブレイク。
今回はそんな廣瀬選手をピックアップ。
現在リーグワンDiv.1の3位につけるスピアーズのBKにおける中心選手である廣瀬選手の今日に至るまでの経歴、今後の展望、どんな選手なのかをお話しさせていただく。
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廣瀬雄也選手
改めて、廣瀬雄也選手。
2001年4月7日生まれ、今年4月で24歳となる。


リーグワン1年目の今季、11節終了時点で9試合、内先発7試合で479分出場。
ゲインメーター129、ボールキャリー40、ラインブレイク3、ディフェンス突破13、タックル成功率70/79で82%、トライ2つ、パス71回、奪ったターンオーバーは6となっている。
プレースタイル
廣瀬選手のスタイルをざっくりまとめると次のようになるだろうか。


学生時代からオフェンス面で秀でた才能の持ち主だった廣瀬選手。
その中でもオーモリ的に1番の強みと感じているのがパス。
特にロングパスの精度と速さに長けており、学生時代まではどちらかというとプレーメーカー的なICTBだとオーモリは見ていた。
そこからスピアーズへ入団すると、キャリーがブラッシュアップされた印象を受ける。
今季リーグワン初戦の自身の初ボールタッチ時の突進をはじめ、自らボールを運ぶシーンが学生時代より増加、その上でリーグワンの選手に対しても当たり負けしないフィジカルも持ち合わせる。
一方ディフェンス面についてもアベレージ以上のパフォーマンスは発揮できている印象。
CTBとして要求されるディフェンスレンジも決して狭いわけではない。
タックルの精度についてはリーグワンのCTBとしてはアベレージ、もしくはちょい上くらいだと思われるが、ここは伸び代十分な点かもしれない。
これらを踏まえ、JAPANへの招集はあるかと考えた際、今季のパフォーマンスを見る限り、その可能性が全くないとは言えない。
ただ、リーグワンにはJAPAN常連の埼玉長田、ライリー選手、今季初キャップを獲得したトヨタのマクカラン選手などがおり、エディーさんがもし廣瀬選手に注目し、先に挙げたJAPANの先輩CTB達と比較した際、どのような判断をするのかはまだ未知数。
(ここから経歴)小学校〜中学校
小学校時代
そんな廣瀬選手、福岡県宗像市出身で小学1年生の時、玄海Jr.RCで楕円球と出会う。
クラブの同級生には現埼玉で筑波大学4年生ではチームの主将を務めた谷山選手がいた。
ちなみに元JAPANの11番、福岡堅樹さんも同クラブの出身。
そんな福岡さんは何度かクラブを訪れて代表ジャージー等を配っていたそう。
廣瀬選手も当時その争奪戦に参加し、ソックスを獲得したそう。
中学校時代
中学は地元の河東中学に進学。
同中学校にはラグビー部はなかったため、土日でRSに通い、平日は部活には入らず近くの公園でパス練習などを繰り返していたそう。
中学3年生時には先に挙げた谷山選手、現神戸で早稲田の主将を務めた伊藤大祐選手らと福岡県選抜へ選ばれたが全国大会の決勝で京都中学校選抜に敗れ準優勝となった。
高校時代
高校はお父様の母校、石見智翠館や、お兄様の母校流経大柏といった県外の強豪校へ進学し、ヒガシを倒したいと思っていたというが、ヒガシの藤田監督の誘いに惹かれ、地元福岡の東福岡高校へ進学。
部員が100人超えの同高校では福岡選抜だった廣瀬選手といえどそう簡単にはいかず、1年生では試合出場機会はなかった。
2年生
高校2年生に上がると春からレギュラーとして試合に出場。
2年生の選抜ではFH、花園ではICTBとして活躍。
3年生
3年生に上がるとチームのキャプテンへ就任。
チームのメインキッカーも務める。
花園では、準々決勝で一時は進学を検討していた流経大柏に勝利したものの、準決勝で福岡選抜でチームメイトだった伊藤主将率いる桐蔭学園に敗れ大会3位。
ちなみに廣瀬選手が試合に出場した2年生以降、ユニオンの全国大会に春の選抜、花園合わせて4度出場したが、全ての大会で桐蔭学園に敗れての敗退となっている。
また、個人的には意外なことに、全国大会で決勝の舞台に立ったことは高校時代ではなかった。
大学時代
そんな東福岡高校卒業後は関東対抗戦の明治大学へ進学。
ちなみに、チームメイトであり、チームの幹部として活躍してきた永嶋選手、全国大会で幾度となく苦渋を舐めさせられた桐蔭学園の伊藤選手が揃って明治の宿敵、早稲田へ進学している。
1年生


大学入学後は1年生から試合に出場しブレイク。
前年から12番の射場選手が卒業、13番だった高校の先輩でもある現BLの森選手が山沢選手の負傷もあり、10番へコンバートしたことでその穴を埋めるべく、対抗戦の途中から12番で定位置を獲得。
大学入学の初年度に、それまで苦手としていたディフェンス面の強化に当時の田中監督との特訓の甲斐あって成功。
これによってオフェンスだけではない、5ツールプレイヤーへ成長を遂げることとなった。
この年は対抗戦4試合(2)、選手権2試合(2)、合計6試合で333分出場、2トライを挙げている。
しかし、選手権準決勝で当時の優勝校である天理大学に15-41で敗れ、大会成績はベスト4となり、またしても決勝の舞台には届かなかった。
2年生


2年生に上がると、この年から12番の座をしっかりと獲得。
当時4年生の江藤選手と、この年の対抗戦、選手権で全試合センターコンビを組むことに。
と同時にこの年からチームのメインキッカーも担当。
ちなみに、この年の大学選手権準々決勝で廣瀬選手は12番、早稲田の10番には伊藤選手が入っていた。
結果は20-15で明治が勝利。
廣瀬選手としては全国大会の舞台で初めて伊藤選手が所属するチームに勝利を収めることができた年となった。
そんな2年生では対抗戦全7試合、選手権全4試合、合計11試合全試合先発で764分出場、32本のキック成功。
この年、ついに自身として初めて全国大会の決勝の舞台に立つ。
ただ、結果は同じ対抗戦の帝京大学に敗れ準優勝。
この年、帝京大学は9連覇が途切れて以来の優勝となった。
また、リーグ期間中はキッカーを務めるも、成功率は60〜70%台とやや精度に欠けていたこともあり、本人としてはその部分でも心残りとなった年だっただろうか。
3年生


3年生に上がると、前年不調気味だったコンバージョンキックの制度を大幅に改善。
80〜90%台の成功率を収め、修正能力の高さが際立つ年となった。
この年も対抗戦全7試合、選手権1試合、合計8試合全試合先発で565分出場、5トライ、30本のキック成功。
ただ、チームとしては選手権準々決勝で対抗戦の早明戦では勝利を収めた早稲田相手に21-27で敗れ、ベスト8で敗戦。
学生生活での優勝のチャンスは残すところあと1年となった。
ちなみにこの時の明治の主将は石田選手。
石田選手の紹介記事は下記。


4年生


そして学生生活最後の年、廣瀬選手は高校時代同様、同期の中で比較的、1年生から試合に出場してきた選手だったことで4年生の投票により、チームの主将に就任。
副将には京都成章高校出身のLO、山本選手が就くことになったが、当時神鳥監督曰く、どちらが主将に選ばれてもおかしくなかったとのこと。
しかし、この年、対抗戦の慶応戦で足を負傷するというアクシデントが発生。
その結果対抗戦は4試合、いずれも先発となったものの、273分間の出場にとどまった。
そんな主将がいないチームは山本選手を筆頭にその後、帝京に敗れはしたものの、早明戦には勝利し、対抗戦を6勝1敗の2位で通過。
選手権は準々決勝からの登場となり、その準々決勝で同じ対抗戦の筑波大学に45-7で勝利し、準決勝へ進出。
その準決勝、京産大戦で廣瀬選手は戦列へ復帰。
52-30で勝利し、帝京大学が待つ決勝へと駒を進める。
自身としては2度目の決勝の舞台、いずれも相手は帝京大学。
結果は、降雪、雷など荒れた天気となった中で、15-34で敗れ、準優勝。
結局、学生時代は優勝には1度も届くことはなかった。
この年は対抗戦後の選手権では2試合いずれも先発で156分出場。
対抗戦と合わせると、合計6試合で429分出場、4トライ、27本のキック成功となった。
スピアーズへ入団
そして大学卒業後はリーグワンのスピアーズへこの年、大学選手権決勝で対戦した江良選手と共に入団し、現在に至る。
入団年は1試合だけメンバー入りはするも、出場機会は得られなかった。
そして翌年の今季は先に挙げたようにブレイクを果たしており、絶賛活躍中。
チームメイトのCTBには長年チームを支えているテアウパ選手、近年、活躍が著しいプレトリアス選手、ヴァイレア選手、そして何よりチームの顔、立川理道選手らが在籍し、ゲームタイムを確保できるかオーモリ的には不安だった。
しかし、蓋を開けてみればご覧の活躍。
強力なライバルが多く在籍するスピアーズの中にあってしっかりと試合に出場し、出場した試合では堂々の活躍をここまで見せている。
直近で負傷歴があり、このままシーズンを完走できれば御の字だろう。
その上でもしかしたらこのままの活躍を続けていけばJAPAN選出の可能性もあるだろうとオーモリは見ている。
シーズンが深まるにつれ、リーグワン初年度ということもあり、経験したことのないコリジョンとスケジュールで疲労が溜まっていくことは間違いないとは思われるが、シーズンを試合メンバーに入ったまま完走し、未だ体験したことのない優勝へチームを導く存在となれるだろうか。
そしてその先のJAPAN選出へ今後の廣瀬選手からは目が離せそうにない。
引用









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